行きつけのスシ屋、なんて言うと気取っているように思われそうだが、私の言う「スシ屋」はシャリタツ料理店のこと。シャリタツという生き物は元はポケモンとして捉えられ、技や能力を必死に調整してバトルに使う奇特なトレーナーも存在していたが、それも今は昔の話。そんなことしなくても他にバトルに採用しやすいポケモンはいて、何よりシャリタツはその身の旨さから、最近では食材としての人気の方がはるかに高い。
いらっしゃいませ!とカウンターの向こうの店主とボールスタッフの声。店主は私の顔を見るなりスタッフに奥へ通すよう指示をしてくれた。
店の一番奥の個室に入り、改めて新メニューを見せてもらう──これだ、「生まれたてオシュシ踊り食い」。オシュシというのは、シャリタツどもが口にする幼児語みたいなもので、シャリタツの稚魚を指す。新メニューはその名のとおり、孵化したてのシャリタツの稚魚を踊り食いするというものだった。
オシュシ踊り食いは、「まずはお試し!一匹コース」から「デラックス六匹コース」まである。どのコースも、そった・のびた・たれた──それぞれ、通称エビ・タマゴ・マグロ──から、すがたは選べるらしい。
そして、オシュシ踊り食いに使うシャリタツは養殖物だという。ということは、天然物の成体と同じ生き物と思えないぐらい孵化したてのオシュシは小さいだろうから六匹でも全然いけそうな気がしたけど、初めてだし一匹コースからいっとこうかな。
「ピキ゜ュ」
タマゴの最期の声を聞きながら読んだメニュー表によると、卵はもうすぐ生まれそうな状態まで孵化作業を進める調整がされている。客への提供時にはマグカルゴというポケモンの殻を利用した特別な皿に載せられているのだが、このマグカルゴはポケモンの卵の近くにいるとその卵の孵化が早くなるという特性を持つのだという。そのため、客に提供された後もテーブル上で孵化作業が進んでいく。そして、長くても提供から十分以内には客の目の前で卵が割れてオシュシが誕生する、というわけだ。
「へえ、すごい」
「キュキュー!」
パリンと割れた卵から、小さな小さなエビ──そったすがたの稚魚が、元気よく飛び出した。
「オシュシちゃん!待ってたよ、可愛い~!」
「キュー?」
体長は人差し指一本分ぐらい。成体のスシより頭身が低く、全体的に丸っこい印象だ。首を傾げ、私を見上げてくるくりくりとしたつぶらな瞳はこの世に潜む悪意なんてものを一切知らない清らかさで、まるで黒い宝石のよう。瑞々しくぷくぷくした体つきはマスコットのような愛らしさで、私はすっかり心を奪われてしまった。
そう言って私がそっと手を差し出すと、オシュシちゃんは小さな小さなヒレの先で私の指をつんつんと突き、匂いを確かめるようにまん丸な顔を近づける。何を判断基準としたのか謎だが、危険はないと判断したらしい。私の手にそっと乗ってきた。
「オシュシちゃん、可愛いねえ」
オシュシちゃんを怖がらせないようゆっくりとその小さな体を持ち上げ、反対の手の指先でそっと頭を撫でてみる。片目を瞑りくすぐったそうな顔をするオシュシちゃん。ああ、本当に可愛い。
食べちゃいたい。
「……シャシャ♡」
「オ、オシュシちゃん……!」
ああ、卵が孵化した直後に見たものを親だと思う「刷り込み」ってやつ、本当に最高。シャシャ、というのもシャリタツの幼児語で、母とかママって意味のようだ。私とオシュシちゃん二人きりの個室で孵ったから、特に疑いなく私をシャシャだと思ってくれたようだ。ちらし寿司のエビを始末しておいてよかったと心底思う。
ここは嫌がるかな?と思いながら、喉元についた豆粒のようなシャリをぷにぷにしてみると、意外にもオシュシちゃんは気持ちよさそうに目を細めた。
「キュー……♡」
「オシュシちゃん、気持ちいいねえ」
「キュウ……キモチ……♡」
私の言葉をどんどん吸収するオシュシちゃんが愛おしくてたまらない。もしかして、私のオシュシちゃんは世界一賢いオシュシなのでは?
「オシュシちゃん、ここをプクーってできる?」
シャリをぷにぷにしながらオシュシちゃんに尋ねると、オシュシちゃんはキョトンとした顔で首を傾げてから言った。
「……プクー!」
「ヒィッ、可愛すぎ」
オシュシちゃんには「シャリを膨らませてみてほしい」という意図が伝わらなかったようだ。口でプクー!と言っただけで、シャリは少しも膨らんでいない。私にはシャリはないからどうやって教えようと思案し、スマホロトムでシャリタツの擬態シーンを収めた動画を検索し、オシュシちゃんに見せてあげた。
「キュ……?」
動画に見入っていたオシュシちゃんにも、動画に登場した成体スシが、バインバインに膨らませてオレスシー!という定番のセリフを口にしながら体を預けているその袋と、自分の喉元についている小さな小さな白いシャリが同じものらしいとわかったようだ。丸い両ヒレの先でシャリをぷにぷにと揉んでから、なんとか膨らませてみようと試行錯誤を始めた。
「プクー!プクーッ!……キュウ?プキュー!」
顔を赤くしてプクープクーと言い続けるオシュシちゃん。なんて健気なんだろう。成体スシの動画再生はとっくにやめ、私はスマホロトムでオシュシちゃんの様子を撮影していた。
「プキュ……キュウゥ……!クシュン……」
上手にできなくて、とうとう泣き出してしまったオシュシちゃん。潤んだ瞳からぽろっと落ちた小さな雫を、私は唇を寄せて吸い取った。
「大丈夫だよオシュシちゃん、あなたはあんなことできなくていい」
「キュウゥ……シャシャ……」
それでもシャシャの期待を裏切りたくないのだろう、オシュシちゃんは諦めない。と、その時は突然訪れた。
動画の中の成体スシが口にしていたその言葉が耳に残っていたのだろう、試しに口にしてみた瞬間、今までぴくりともしなかったオシュシちゃんのシャリがプウッとわずかに膨らんだ。
「オシュシちゃん!今ちょっと膨らんだよ!すごいね!」
「キュ……⁉︎シュゴイ!オシュシ、シュゴイ!オレ、シュシッ!」
少しコツがわかったのか、再び挑戦するオシュシちゃん。さっきよりも明確にシャリが膨らみ、私とオシュシちゃんは大喜びした。
「オシュシちゃん、すごい!シャリ開通おめでとう!」
「キュー♡オシュシ、シュゴイ!カイチュー!オメット!」
大喜びで両ヒレをばたばたさせているオシュシちゃん。ああ、本当に可愛いし賢い……♡
「オシュシちゃん、次はプクーしたシャリを、ギューしてみよっか」
「シャリ、プクー……ギュー?」
この可愛いオシュシちゃんが膨らませたシャリを抱きしめる姿、通称「シャリ抱き」を見ずに終わるわけにはいかない。シャリをほんの少し膨らませることまでは習得したが、ギューの意味がまだわかっていないオシュシちゃんの両脇に垂らしたままのヒレを指先で持ち上げてシャリに沿わせ、反対側のヒレも同じようにする。
「はい、これがシャリギューだよ。悲しくなったらこうすると、気持ちが落ち着くみたいだよ」
「キュー……シャリギュー……」
オシュシちゃんはしばらく自分のシャリに抱きつきぷにぷにさせていたが、すぐにやめてしまった。
「シャシャ、ギュー!」
「わあ……!」
そして抱きついたのは私の親指。自分のシャリよりも、私に抱きついた方が安心するという愛情表現だ。たまらず私はオシュシちゃんのまん丸なほっぺにキスをした。
「オシュシちゃん、可愛い……♡大好きだよ……」
「キュ、キュ~♡」
キスという愛情表現も、シャリタツに通じるらしい。オシュシちゃんは嬉しそうに頬を染め、ニコニコしながら両ヒレを頬に当てて体を左右に揺らし、ハート型のしっぽで私の掌をぺちぺち叩く。全身で忙しなく喜びを表現するオシュシちゃん、なんて愛おしい……。
お返しとばかりにオシュシちゃんは私の親指に再びギュッと抱きつき、柔らかい頬をすり寄せてからどこにあるのかわからないぐらい小さなお口でキスをしてくれた。
「キュキュッ……♡」
照れくさそうにニコニコしているオシュシちゃんは、今まで目にしてきたもののなかで間違いなく一、二を争う可愛さだった。
ああ、もう我慢できない。
お返しのお返しだ。また唇をオシュシちゃんに近づける。オシュシちゃんは、またキスされるー!とばかりにニコニコ、期待に満ち溢れているのがわかる。その証拠に、可愛い可愛ハート型のしっぽがぴこぴこ揺れて、ドキドキを隠しきれていない。私はほっぺたに近づけていた唇を不意に方向転換してしっぽに寄せ、ますますぴこぴこぴこっ!と動きを早めたしっぽのハート型部分を口に含み、
噛みちぎった。
「キュウゥゥゥゥッ!キュウゥゥゥゥーー!!」
先端がなくなった短いしっぽを持ち上げ、信じられないという目でそこを見つめるオシュシちゃん。私は動かなくなったオシュシちゃんのしっぽを一旦口から出し、オシュシちゃんが乗る手の親指の爪に置いてみた。
「うーん、さすがに大きいかぁ」
あまりに可愛いハート型だったので本気でネイルパーツにできないか考えたけど、小さな小さなオシュシちゃんのしっぽとはいえ親指の爪の幅をはみ出してしまうぐらいの大きさはあった。そもそも、食品をネイルパーツにはできないので初めから断念せざるを得ないのだが。
もったいないので、しっぽは爪から舐めとるように再度口の中に入れて咀嚼する。こんなに小さなしっぽなのにしっかりと肉感があり、噛むごとに旨みが滲み出す。さすが私のオシュシちゃんだ。
「キュウッ、キュー……!」
その間にもオシュシちゃんは泣き続け、大きな瞳は悲しげに目尻が下がりぽろぽろと涙をこぼし続ける。
何にせよ、もうあまり時間はかけられないな。
「オシュシちゃん、しっぽなくなったねえ……痛い、痛いだね……」
加害者は私なのに、慰めるようにオシュシちゃんのしっぽの先の傷を指で突く。痛みに体をびくつかせ、ギュッと目を瞑るオシュシちゃん。涙が飛び散るように溢れた。
「キュキュ……!イチャ……イチャイィ……シャシャ、イチャイ……!」
オシュシちゃんは新たに「痛い」という言葉を習得しつつ、どうしてこんなことするの?とばかりにうるうるお目々で私を見上げる。
ありがとう……可愛い可愛いオシュシちゃん、そろそろ、さようなら。
そう言って、私はオシュシちゃんのヒレの中からシャリを奪い取った。大して力も必要なくプチッと小さな音を立ててオシュシちゃんの喉元を旅立ったそれは、プシュウとつまらない音を立てて大豆の薄皮ぐらいにしぼみゴミになったので、ピンと指を弾いて飛ばし、ちらし寿司の皿に捨てた。
「キュ……⁉︎」
シャリを膨らませて、ギューしてみて、と言ったのはシャシャなのに、そのシャシャがなぜシャリをポイしちゃうの──?そう言いたげなオシュシちゃんは、とうとう怯えた目で私を見上げてきた。かわいそうに、悲しくなったらギューするはずのシャリはもうなく、ダイシュシ♡だったシャシャはもう怖い存在だから、その指に抱きつくわけにもいかない。
「キュ、キューーーー!!」
痛みと不安と悲しみが爆発したオシュシちゃんは、顔を真っ青にして涙をどばどば流しながら両ヒレをめちゃくちゃにバタつかせ、泣き喚き始めた。もうどうすればいいかわからないのだろう。
閉じた口の中から、キューキューとくぐもった泣き声が聞こえてくる。ヒレとしっぽのバタバタは、手の上にいた時よりも強く感じる。今頃オシュシちゃんは、私にしっぽを噛みちぎられた時に走った新鮮な痛みを思い出しているだろう。全身を口の中に入れられたことによって、あの痛みをこれから全身に感じるのだと考えたいるだろう。
心配しないで、痛みなんてろくに感じないうちに終わらせてあげるからね。
そう心の中で話しかけ、私はオシュシちゃんの胴の真ん中あたりに一気に歯を突き立てた。生まれたてオシュシ渾身のわずかな歯応えを残して両断される小さな体。もう声すら上がらない。よかった、一思いに逝けたんだ。安心した私は咀嚼を繰り返す。ひと噛みごとに濃厚な旨みが溢れ出る。
ごくっ、とオシュシちゃんの最後のひとかけらを飲み込み、私はパンッと音を立てて手を合わせた。ご馳走様でした。「生まれたてオシュシ踊り食い」、なんて素晴らしいメニューだろう。
ちょっと残っていたビールで本当にオシュシちゃんの名残にも別れを告げ、私は席を立って会計を済ませ店を出た。太陽が眩しい。あらゆる生命を育むその暖かな光を全身に浴びながら歩み出した私は、次に来る時は奮発して「デラックス六匹」のコースにしようと心に決めたのだった。
残業のせいで時間も遅いし、このままどっかで晩飯でも食べて帰ろう。
何がいいかなーっと建ち並ぶ店を眺めていると、可愛いシャリタツが描かれた看板に目がいった。オレンジ、ピンク、黄色の3種類のシャリタツ達が寿司に擬態して『オレスシー!』と言っている。
店の名前は『シャリタツ専門寿司』。
実にシンプルで分かりやすい名前だ。
今日はここにしよう。俺は吸い込まれるように店の中へと入っていった。
実に雰囲気の良い店だ。店の内装はオーソドックスでまさに寿司屋といったところ。カウンター8席と奥に座敷テーブルが4席。繁華街にしては少し狭いなと思ったが、団体客用に2階にも座敷テーブルがあるみたいだ。
きっと週末は大賑わいで、飛び込み客が座れる席もなかった筈だ。今日が平日の夜で助かった。
俺はビールと『シャリタツの踊り食い』を注文する。本当は寿司から堪能したかったが、それはまた今度の休日にでも楽しもう。
目の前のガラスケースにはシャリタツ達がばんばん!とケースを叩いている。
「タスケテ!!」「ダシテ!!」「ココイヤー!!」「オレスシチガーウ!!」
可愛く元気なシャリタツ達につい口元が緩んでしまう。ケースの中にいるのは食用のシャリタツ達。客は気に入ったシャリタツを指名して料理を注文することができるのだ。でもごめんな、俺は明日の朝も仕事があるからお腹いっぱい食べられないんだ。他のお客さんに食べてもらってくれ。
「スシー?」「ダレー?」「スシスシ?」「シャリシャリ」「ヌシー?」
このシャリタツ達は全て養殖産だ。本来のシャリタツは30センチほどだが、こいつらは5センチにも満たない超小型サイズで技はもちろん『はねる』だけ。他の養殖と違って明らかに食用の品種改良が施されているため骨まで柔らかく、寿命もかなり短いらしい。
おそらく昨日今日に生まれんじゃないだろうか、早く食べてあげないとな。
まずはキンキンに冷えたビールを喉に流し込む。この喉越しがたまらないんだ。これがあるから俺は明日も仕事を頑張れるんだと言っても過言ではない。
「スシー?」
1匹の子シャリが鉢をよじ登って顔を覗かせている。俺が人差し指を出すと「シャリ♪ シャリ~♪」と絡みついてきた。可愛いから人差し指ごと口の中に入れる。
上唇と下唇で挟んで、人差し指だけ抜き取る。口の中に取り残された子シャリは「クサイー!」と鳴いている。きっとビールの残り香に当てられたんだろう。加齢臭だったらへこむ。
うろこのないみずみずしい身体を上から下へ、下から上へと堪能する。口の中で子シャリは「キモチワルイ!」と叫ぶ。怯えているのか心臓の鼓動が早まっているのを舌先で感じた。『怯えないで』と舌で子シャリの顔を舐めてあげる。子シャリから涙のしょっぱい味が返ってきて俺は嬉しくなった。
ヘイラッシャは毎日こんな気持ちいい思いをしているのか。なんてズルいんだ。でも妬んでも仕方ない。
もっと、もっと、可愛いがってあげるからねと口の中の子シャリを愛してあげると、ついに反応がなくなった。まさかと思い、舌先でシャリタツの胸を押さえつける。心臓の鼓動が止まっていた。死んでしまったようだ。
──ありがとう、美味かったよ。
俺はもぐもぐと数回咀嚼し、子シャリを弔った。
「ヌシー?」「ダレー?」「ヌシヌシ?」
「オスシー?」「スメシ?」
子シャリ達と目が合う。つぶらなひとみで俺の攻撃力が一段階下がる。ドラゴンタイプなのにフェアリータイプの技を使うなんて卑怯だ。
俺は残った子シャリ達をお椀に移す。1匹1匹は面倒なので箸でごっそりまとめて移動させた。子シャリ達は楽しそうに「スシー!」と鳴いている。
全員をお椀に集めたら、上からポン酢をかける。
「ヤダー」「スッパイ!」「イヤー!」
みんながみんな、違う反応を見せる。愛らくもあり、哀しくもある。みんな、どうせすぐ死んでしまうんだ。ならせめて、記憶に残るぐらい美味しく食べてあげないとな。
お椀を傾けて子シャリ達を口の中へ招待する。子シャリ達は新天地に興奮しているのか、口の中で楽しく遊んでいる。
「ヤダァー!」「キモー!」「クサーイ!」「ドコー?」
中には不安そうに泣いている子シャリもいた。
「イヤダアアー!!」「タスケテェ!!」「ココイヤー!!」「ダシテェ!!!!」
口の中で跳ねて暴れる子シャリ達を諌めるようにゆっくり口内を絞ってやると、声の振動が直に伝わる。心臓の鼓動もより感じやすくなって一石二鳥だ。絞って、緩めて、絞って、緩めてを繰り返す。するとポン酢の味が消えていた。結局最後はこうなるんだよなぁ、と俺は舌先で子シャリ達を可愛がり、死んだ子シャリから1匹ずつ順番に噛み砕いて飲み込んでいく。
「イヤァ!!!」「タベナイデェ!!」
「ヤメテェ!!!」
──大丈夫、安心して、生きてる間は食べないよ!
俺は怯える子シャリ達を励ますように可愛がる。全て食べ終える頃には充分空腹は満たされていた。
そろそろ帰ろうかな。良い店だった。次は週末にでも寄ってみよう。
「何じゃこりゃ」
女が自宅のポストの中身をチェックしていると、とあるビラが目に入った。一際ひときわ大きく印刷された「ベビタツ」の文字。
「ベビタツ?」
開いてみると、子供向けのゼミの「付録」紹介ページみたいな鮮やかさ。ターゲット層の多くは子供であろう。
『小さな赤ちゃんシャリタツを可愛がってあげよう!』
『力も弱いので、小さなお子さんでも安心!』
『性格や気性も赤ちゃんのままなので安心して愛育できます!』
「へえ」
バチュルより小さいというこのシャリタツ――もといベビタツは、愛玩用に品種改良して誕生したそうだ。
なんと、一生赤ちゃんのままなのだという。
成体になっても体長が10cmを超えることは無く、技は「はねる」と「こらえる」「ねむる」の三つのみ。力も強くなることなく、赤ちゃんらしい虚弱さが死ぬまで続く。だからこその「こらえる」と「ねむる」なのだろう。
ビラに印刷された画像では、ベビタツに哺乳瓶でミルクを与えている様子、おしゃぶりを咥えて転がっているベビタツの姿が見られた。ベビタツは赤ちゃんらしさのある服を着せられており、パッと見は布の巻き寿司に見える。
専用の服や世話道具にも種類や模様などが数多くある。それで子供心をくすぐって欲しがらせるのだろう。
これはあれだ。女の子向けの、赤ちゃんのお世話をするオモチャ。なんだっけあれ・・・・・・ピンプクちゃんだっけ。親戚の子が人形におめしを代えたりオシャレさせて遊んでいたっけ。
まさか生きたポケモンを使うとは思い切った開発元であるが、そういえばこいつらは美味いし弱い故にポコポコ増えるのだから、そんな使い方を考えつかれても不自然ではないか。今や多くの料理が生み出され、食の娯楽を大きく支えている存在だ。アイデアはこれからも尽きることは無いだろう。今回のように。
・ベビタツは赤ちゃんポケモンを育てることを通して、お子さんの心を育む知育生物です。
・ベビタツはずっと赤ちゃんのままですが、寿命は原種よりも遥かに短くなっております。
・ベビタツの命の終わりは、お子さんの情操教育にも活躍します。
「あー、赤ん坊の頃から犬と育つとなんとかっていうあれか」
画面をスクロールしていく。お腹が空くと、あなたの指を吸ってアピールします!という表記と共に、弱弱しく吸い付くベビタツの動画が流れた。
「ブッ潰したくなんな」
女はキュートアグレッション持ちであった。そういう人間には酷な光景だ。可愛いと思うと同時に傷つけたくなる。
数々のシャリタツを食ってきた身としては、いたぶる方が親しみ深い。最早遺伝子に刻まれてしまったというレベルで、奴らを見ると蹴とばしたくなるのだ。まあ、余程でない限りそんなことしない。キュートアグレッション持ちでも、ちゃんと世の中のルールの範囲内でひっそり暮らしているのだ。
お値段もそんなに高くはない。まだ幼い可愛い姪っ子を思い出し、丁度良いかと決意した。
「おねーちゃん、ベビタツ、ありがとー、ございます!」
「ちゃんと届いたんだね~、良かった!お誕生日おめでとう!」
普段よりうんと高いテンションと声でビデオ通話をしていた。姪は、叔母である自分をお姉ちゃんと呼ぶ。シャリタツと違って純粋に可愛いと「だけ」感じられる姪っ子であった。
姪のもちもちの手には、可愛らしいふりふりの布を纏うベビタツが乗っている。ベビタツは一通りの世話道具と着替えと共に届けられるので、その中にあった物だろう。机の上にはベビタツが入っていたピンク色の可愛らしい箱が置かれていた。こちら側に見えるように置いてくれているのだろう。
「お着換えさせたの?上手だね~!」
褒めてやると、嬉しそうなどや顔を見せてくれた。全く幼女は最高だぜ。
「今日はごちそうかな?」
「そうだよー、ママが作ってくれてるのー!」
姪が語りやすいよう、色々と質問をしていると、画面の向こうでは用意が終わったらしい。姉の声がする。
「ばいばーい!ほらべびちゃんも!」
「キュゥ~」
姪は小さなヒレをつまんでベビタツにバイバイをさせる。
ピロン、という音と共にビデオ通話は終了され、彼女はそのままベッドの上にあった枕をぶん殴った。
「ベビタツ殺してえ!!!!!なんだあの可愛さは!!!!」
シャリタツが可愛すぎるのがいけないのである。これは真理だ。
「キュゥ、キュゥ・・・・・・」
ベビタツは無力だ。どのくらいかと言えば、コイキングとヌメラの遥か下をゆくくらいには弱い。品種改良によって限界まで虚弱にされ、体調を崩しやすいようにされている。病気にはならないが、例えば具合が悪くなったりバテやすかったりと、子供が世話できる程度に調整されているのだ。
「キュゥ、キュゥ」
身体が小さければ声も小さい。空腹を訴えようと必死に鳴くものの、持ち主は気づいていない。
恐ろしく遅い這いずりで、微かな距離を積み重ねて進む。一生懸命持ち主の手へ向かい、何とか辿り着き、弱弱しい力でちゅ、ちゅ、と指に吸い付いた。
それにようやく気付いた持ち主はその愛らしさに笑みを浮かべ、餌の準備の為に離れて行った。
「おまたせー、ごはんよー」
小さな小さな哺乳瓶は、まるでスポイトのようである。口に浅く挿し入れられた先端から少しずつ出されるそれを、ベビタツはゆっくり少しずつ、ちゅうちゅうと飲んでいった。
「おなかいっぱいねー。おしゃぶりしましょ」
あっという間に薄い腹はポッコリと膨らみ、ベビタツはもういらないと口を離す。持ち主は哺乳瓶を片付けると、ベビタツ専用のおしゃぶりを咥えさせる。赤ちゃんは常におしゃぶりを咥えているものだと思っているのだろう。
「キュゥゥ、キュ」
ベビタツは徐にふるる、と震えた。穿かされたおむつにそのまま排泄したのである。
ベビタツは非常に小さい故、胃に餌が入ったらすぐに排泄が起きるようになっている。
柔らかなベビタツベッドの上に仰向けに寝かされ、尻尾を掴んで少し浮かされる。穿かせられていたおむつを外され、ウェットティッシュで総排出孔周りを拭いた。腐ってもドラゴンタイプ、いくら魚に似ていようと、太古に竜であった名残は残っているのである。
子供の速度で、ゆっくりと、しかししっかりとおむつを交換してもらった。
不快感から解放され、気持ちよさそうなベビタツ。持ち主はベビタツをティッシュでおくるみにして、ゆらゆらと揺らして「あやし」の真似をする。
「おもらしべびちゃーん、ごきげんねー」
持ち主である少女は、販売元の作ったおむつ替え時の歌を歌うのであった。
シャリタツはバッドエンドしか待ってないサカナだよ?
それも無理はない。ベビタツは一生赤ちゃんとはいうものの、そのベビタツの「中身」は別であった。
時折、中身が原種と同じく大人へと成長する個体が生まれるのだ。そのまま出荷されるものの、大抵の個体は与えられた環境と扱いに慣れ切ってしまう。精神が成長しても、その内精神が赤ちゃん返りして戻らないままで終わり。
だが、その個体は違っていた。
10cmにも満たない体と、か弱い力では自力で何もできない。その上、世話をされていなければ命も保てない。このベビタツはそれをわかっていても、赤ちゃん扱いをされ続けることが嫌だった。
給餌も、屈辱的な失禁も、己の意志を無視した現実が嫌で仕方がない。
「ヌシ、ヤ、オレ、オムツヤァ!」
ぱたぱたとヒレを振り回して主張する。
ドン!!!!!!!!!!!!!!!!!
すれすれに、自分よりはるかに大きな握りこぶしが振り落とされた。
「ア、ヤア、・・・・・・オレスシィ・・・・・・」
「お前はシャリタツでも寿司でもないよ」
「チガウ!オレスシ!!スシスシスシイイイイイイ!!!!!!」
「お前は一生ベビタツだよ。ベビタツなんだから喋らない。赤ちゃんとして生きて、赤ちゃんの鳴き方するんだよ」
小さな小さな頬をつまみ、潰さんばかりにつねりながら引っ張る。
「ピィイイイイイイイイイイイイ!!??キューーー!!!」
ピチピチピチと震えるも、力が弱すぎて死にかけの魚の様だ。
「ベビタツの癖に逆らうとか何?飯食って寝てるだけでいい暮らしの何が不満なんだよ」
ギュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ、とつねったまま浮かせる。
そろそろやめねば死ぬかという心配は無用。ベビタツの覚えている技に「こらえる」がある。愛育用ではあるが、簡単に死なない為の最低限の丈夫さはあるのだ。
そのまま手を離すと、ふわふわのベビタツベッドの上に落ちる。
「ヤア・・・・・・オレスシ・・・・・・オレスシ・・・・・・オシュシ・・・・・・ベビチガウ・・・・・・」
「別にこっちはお前を殺してもいいんだぞ」
「キュッ!!??」
「お前は不良品なんだよ。これわかるか?一番下の端っこに書いてある」
ベビタツに、HPを見せ、ついでに読み上げてやる。
『稀に精神が赤ちゃんに固定されない個体が産まれることが確認されています。しかし出荷時の発見が非常に困難である為、そのまま出荷される場合がございます。不良品を確認された場合、サポートセンターまでお問い合わせください。今後のさらなる品質向上と再発防止の為、ご購入いただいた個体を無料で新品とお取替えさせていただきます』
「つまりだ。お前は持ち主次第で販売元の会社に逆戻り。どんな目に遭うんだろうな?死んだ方がマシなくらい痛くて苦しいかもなあ。あーあ、赤ちゃんになりきって楽な生活してれば、何も怖いことは起きないのに」
そう言ってやると、ベビタツは思った通りガタガタと震えている。
タマゴグループドラゴンじゃないから食べ物のサカナ
ポケモンもどきの食料
自分以外にも、精神が固定されていない「仲間」がいた。だが、産まれたばかりでそのようなそぶりを見せたが最後、残らず廃棄処分。だから、何が起きているか理解できないフリをした。演技を続け、そうして出荷された。
これで大丈夫だと思った。けれど違ったのだと、遅まきながらベビタツは気づく。
女は震えるベビタツを眺めながら顎を擦さする。出荷前にどんな目に遭わされていたのやら。まあ、消費者には関係の無い話である。
「ついでにお前らベビタツってのは、食育にも使える。わかるか?子供に命と食べることの勉強をさせる為。もっとわかりやすく言うなら、お前らが食べられて死ぬことだ」
事実、HPの一番下に小さく書いてある。保護者向けの記述だ。
「可愛く振舞っていれば、可愛いからって食べられないで済むだろうになあ?」
ベビタツはもう、何も言えなかった。
始めは良かった。その内「過ぎた」可愛さにギリギリしつつも世話をする。が、ついに問題が発生してしまった。
それこそが、このベビタツが不良品だったことである。
精神が成長してしまい、この扱いと環境がおかしいと考えるようになってしまったのだ。そしてそれを訴え、赤ちゃん扱いをやめろと言いだしたのが数分前。
「別にお前がいなくなっても、『赤ちゃんだから病気にかかって死んじゃった』で済ませられる。お前も姪っ子のとこのベビタツみたいにしてれば、少なくとも寿命分の時間は安泰だろうにな?」
姪のベビタツが不良品かそうでないかはどうでもいい。中身が赤ちゃんじゃなかろうと、仕方ないのでなりきっている個体もいるに違いない。
「お前はどうする?」
そう意地悪く問いかけてやると、ベビタツはぼろぼろと泣くのであった。
回転寿司で普通に脳内でシャリタツ虐待しながら食ってるけど?
平素より弊社の製品、ベビタツをご購入いただきありがとうございます。
発売から多くのご愛顧とお客様の声をいただき、この度お知らせを送付させていただきました。
愛育用ポケモン、ベビタツに関するお知らせと注意喚起に関しては、下記をご参照ください。
・ベビタツがご家庭内で行方不明となるケースが多発しております。聴覚、嗅覚の発達したポケモンと協力して探してください。ベビタツはとても小さいので、匂いや微かな鳴き声がてがかりとなります。
・ベビタツを踏み潰してしまう、座った際に潰してしまうケースが多発しております。ベビタツは基本的にベビタツベッドの上に居させるか、それ以外の場所におきましては目を離さないようお願いいたします。
・ベビタツにベビタツ用ミルク以外の飲食物、他社による模倣品のミルクを与え、死なせてしまうケースが多発しております。弊社製品のベビタツは、弊社製のベビタツミルクだけを与えるようにしてください。製品の性質上、それ以外を消化できず内臓に異常をきたすことが判明しております。
・ベビタツが就寝時に窒息して死亡するケースが多発しております。ベビタツを眠らせる場合、弊社が販売するベビタツベッドをお使いください。他社製の製品を使われますと、かけ布団の通気性の違いによって窒息を引き起こす場合がございます。
・特にお届けから間もないベビタツの身体を拭く際は、弊社が販売する専用タオルをお使いください。お届け直後のベビタツは最も若い為、鱗が未熟です。一般に流通するタオルでも細かい傷を負ってしまい、そこから細菌等に感染して死亡するケースが報告されています。
・家庭内や屋外にて、ベビタツが凍死するケースが報告されています。エアコンの風が直撃しないよう、ベビタツベッドの場所を調整してください。また、寒い地域ではご自宅から外へ出さないようお願いいたします。
・食事の与え忘れによって、ベビタツが死亡するケースが報告されています。ベビタツには、一日に二回から三回ベビタツ用ミルクを与えてください。三日以上の飢餓状態には耐えられない調整をされておりますので、最低でも三日以内に与えるようお願いいたします。
ベビタツを見失った際に発見しやすくする為、今後から生産するベビタツには弊社製GPS機能つきマイクロチップを埋め込むこととなりました。これにより、今後リリース予定の専用アプリにてベビタツの居場所がわかるようになります。
それ以前より購入いただいたベビタツに関しましては、同封の資料よりQRコード、もしくはURLよりマイクロチップ埋め込み施術の予約ページにて、ご予約をお願いいたします。
お詫びとして、施術費半額クーポンを同封しておりますので、是非そちらをお使いください。また、新しくマイクロチップ埋め込みされて販売されるベビタツは、生産費用の増加に伴い、値上げさせていただきます。
ご家庭にてベビタツの死亡を確認されても、弊社は一切の責任を負いません。ご了承ください。
不良品やお問い合わせは、弊社HPをご参照ください。
今後とも、弊社及びベビタツをよろしくお願いいたします。
「ああ~・・・・・・バッッッッカじゃないの」
よりにもよって何でこんなところに入り込むのだ。恐らく冒険気分でうろついている内にここへ入り、戻れなくなったのだろう。疲れて動けなくなり冷蔵庫の稼働音に鳴き声もかき消され、一匹で寂しく力尽きたのだろう。全く馬鹿で救えないゴミである。
死骸は沢山の埃と一緒に箒で掻き出され、塵取りでゴミ袋へと落とされた。
「うわっ」
トイレから出たら、プチュッと音がした。慌ててスリッパの裏を見ると、ぺちゃんこになったベビタツと体液。よく懐いていた故、トイレについてこようとしたのだろう。
「きったね」
ベビタツで汚れ、死骸のくっついたスリッパはそのままゴミ箱へ。ベビタツの体液で汚れた床はあっという間に掃除されて綺麗にされた。
ベビタツにシャワーをかけたら、一瞬で死んでしまった。嘘だろ、と思ったが、どうやらベビタツにとっては人間の適温も熱すぎたらしい。息子が呆然としたまま、ベビタツの死骸を手にしていた。その日は慰め、死骸は庭に埋める。後日、新しいベビタツを注文した。
朝になったら、ベビタツが死んでいた。布が顔にかかっていて、これで窒息をしたようだ。ケチってベビタツを単品買いし、他をパチモンで揃えたのは失敗だった。舌打ちをし、動画の撮影を始めた。
「今日はお知らせがあります。実は、うちのベビタツが死んでしまいました」
撮影を終え、動画編集に取り掛かる。ベビタツグッズは正規品にしよう、という注意喚起風にすれば良い。あくまで不注意で死なせてしまったと反省しているていの動画が、投稿されるのだった。
夏真っ盛りに、飼っていたベビタツが凍死した。あんまりにも暑いからと冷房を入れていたのだが、ベビタツはそれで死んでしまったらしい。気づいたらぐったりと動かなくなっていた。母に言うと、エアコンの温度を下げ過ぎるからだと怒られてしまった。
ベビタツが届き、娘と一緒にわくわくしながらミルクを作った。そうして初めての給餌となったが、口をつけて数秒。「ギッ!?キ、ゥュ?!ッッキ・・・・・・???」と鳴きながら、口からミルクを吹き零しながら痙攣し始めた。パニックになる娘と動かなくなったベビタツ。説明書をしっかり読んでいなかった自分の落ち度だ、と父親は反省した。
ベビタツにマイクロチップを埋め込むことになった。まったく、愛育という言葉がわからんのか。赤ん坊から目を離す馬鹿がいるか。
気だるげにしながら、泣き叫ぶベビタツ達をポケモンの技で次々眠らせる。後頭部に切れ込みを入れ、そこにマイクロチップをねじ込むのだった。
「うるせえぞ雑魚共、不良品にされてえのか」
男は苛立って、目の前でよたよた抵抗する雑魚ベビタツを睥睨した。
ベビタツは「元」ポケモンだ。愛育用の「玩具」にできる程の品種改良を重ねて虚弱にした結果、とんでもないクソザコとなってしまった。勿論、最低限の丈夫さはあるが、それは子供の力程度で死なないといったレベル。
だが、流石に人の体重では死ぬし、そもそも商品としてのテーマは赤ちゃん。どちらにしろ結果としては問題はなかった。
死にやすいが世話しやすい。説明書の通りにさえやっていればちゃんと育つのだ。
そして、なんといってもこいつらは「消耗品」である。ペットでありながら、玩具でもある。
子供向けのゲームや玩具といったものは、良くて一年流行れば良い。企業としても売り上げを回収できなければ開発費で赤字になる。故に、できるだけ「回転率」をあげたいのだ。
ペットとしての最低限の寿命と、玩具としての最低限の丈夫さ。長生きではいずれ多くの家庭に行き渡り過ぎてしまう。頑丈では死ににくくなってしまう。
そう、そうやってある一定を超えると簡単に死ぬ生き物として創ったのがベビタツ。消費者はポケモンなのだから多少雑でも問題ないという思い込みを持っている。そこを突いているのだ。
死なせてしまったならば、新しいのを買えばいい。子供心を擽るデザインで新しいグッズや道具を出せば、子供が欲しがって少なくとも最初に生産した分は売れる。好評ならば、シリーズ化すれば良い。
そうして、ベビタツを販売する会社は、少しずつ資金を蓄えて行った。次第にクレームや顧客の声も多くなり、満を持してマイクロチップを使うことにする声明を出した。
何、その分の金額を上乗せして販売すればいい。元からベビタツは安いのだ、消費者もそれが理解できる筈だ。以前の購入者には建前として半額クーポンを渡せば騒ぐことはしないだろう。他所や大企業であれば無料で施術するだろうが、こちらはそこまでの規模ではない。合計でいえば、新しいベビタツを買うより少し安い程度になる。
今やすっかり会社の主力となってしまったベビタツ。彼らは今日も産まれては、ベビタツという商品として出荷されていく。
おしまい。
ヒレ全部切り落とされたら何もできなくなると思っていたのですが、上体を起こした姿勢からして、尺取虫みたいな動き方もできるんじゃ?とも思うようになりました。あえて喉袋を残して砂利の上に置いて、這いずるせいで喉袋がボロボロになっていくのを眺めながら寿司を貪り食いたい。
スマホロトムを起動していると、回転寿司店の広告が次々と流れてくる。
「今日は15cm以上の養殖物オンリー(養殖物は通常10cmちょっとだ)」
「厳選大トロ半額」
「公募の創作スシ初お披露目」……
どれも魅力的なワードだがやはり俺は行きつけの店で記念日を満喫したい。あの店には回転寿司のシステムは無いが、寿司に関係する日なので当然シャリタツ絡みのイベントがある。
「らっしゃーせー!悪いな今手ェ離せねえんだ。適当に座ってくれ」
「どーも。忙しくて何より」
「らっしゃい。今年もいいの一杯いるよ」
壁に掲示されたポスターには、「11/22限定!養殖物のツガイ祭り」と書いてあった。
だが11/22は回転寿司の日であると同時に語呂合わせでいい夫婦の日とも呼ばれる。食べやすい大きさの養殖物をツガイとして組ませておき、当日にセットで提供するというのがここのサービスだ。卵や稚魚が産まれていた場合はそれも一緒に出される。
ツガイを作る流れとしてはこうだ。
まず、11/22用に出す養殖物の集団を別室で隔離。バックヤードで仲睦まじくしている天然物の様子を常にモニターで映し、本来シャリタツはツガイを持つものだと養殖物達に理解させていく。ピーナッツバター入りの餌を食わせて発情しやすい体にするのも忘れない。
こうして出来上がった何百組ものツガイが今日の目玉という訳である。1年に1回だからとは言え、店の皆はよくこんな面倒なことを毎年やるもんだと思う。
とはいえ流石に2種類のすがたをピンポイントで指定するのは無理なので、注文する時は1種類だけ指定し、それが含まれるツガイを提供してもらう事になっている。
何となくエビを指定するとおっちゃんが持ってきた桶の中でサーモンとエビが仲良さそうにじゃれあっていた。
「ほら、ご挨拶だ」
「オレシュシー!」「オレモシュシー!」
桶の中の2匹は俺の姿を見るとほぼ同時に擬態を披露した。
ぴっしり反るエビとまっすぐ伸びるサーモン………俺、エビの擬態ってドヤ顔に見えるからスゲーはっ倒したくなるんだよな。目をつぶってふんぞり返るエビの横顔をデコピンすると、慣れない衝撃を食らったエビは無様に横転した。
「!?オマエ ナニシテル!イジメチャ メッ!!」
エビは涙目になりながら尻尾で顔をさすり、そんなエビを庇うようにサーモンが前に出て怒り出す。こっちがオスかな…どうでもいいけど。
ちなみに俺はのびたすがた特有のジト目にもイラつくタイプだ。サーモンの顔面にデコピンを食らわせれば、当たり所が良かったのか面白いくらいに吹っ飛んで桶にぶつかった。
身を寄せ合ってプルプル震える小さなツガイ達……果たしてこいつらの夫婦愛はどれほどのものか。
***
七輪の上に敷かれた網、その上に仲良く並んでうつ伏せになる養殖物のツガイ。いまだにデコピンの痛みが残っているのか骨を折っていないのに逃げ出そうとしない。訳がわからないと言った顔をしながら、そのヒレは互いの存在を確かめ合うように固く繋ぎ合っている。
「ヤァ…コワイ…コワイィ……」
「メ…メシュ ダイジョブ……オレマモル…」
「ナニコレェ!?アチュイ!アチュイノ ヤアァ!!」
「ヤダアアア!!タシュケテェ!!」
じりじりと下から熱されて危機感を覚えたのか、2匹で抱き合いながらぴょんぴょん網の上を跳ね始めるツガイ。くっついていて掴みやすいので2匹まとめてトングで鷲掴みにして網に押し付ける。
「「ギャアアアアア!!!アヂュイイイイイイィィィィ!!!」」
「この方がもっと密着できるだろ。お熱いこって」
トングに力を込めて締め付けたり、火が強く燃え盛る場所で数秒間炙ったり。おっちゃんから借りたマヨネーズを2匹に掛ければ、独特のねっとり感と匂いに驚いて堪らずのけぞった。
「イヤアアアア!!ナニコレキモチワルイイイイイ!!!」
「クサイイイィィ!!ネトネトイヤアアアアァァ!!」
カチ、カチ。わざと2匹の目の前でバーナーをちらつかせ、青い炎を見せつける。
「ヒッッ」
「メスを守るんだよな?お前がエビの身代わりになってくれるんだろ?」
「アッッ…アアア……」
下から炙られ、トングで拘束され、眼前に炎を突きつけられ、サーモンの顔はそれはもうすごい事になっている。脳天締めされる寸前の天然物と遜色がないくらいに。背中にかけられたマヨネーズに火が寄せられた瞬間、サーモンのヒレはでんこうせっかの勢いでエビのヒレを振り解いた。
「メッ メシュアゲル!!オレタシュケテ!!コイツイラナイィ!!」
「シュシ!?」
純粋だった養殖物はここにきて同族を売るただのシャリタツとなってしまった。ショックを受けているエビの頭をひたすら押し退けてこっちに捧げようとしている。守るとは一体何だったのか。
最初の段階でメスのヒレをとって網から逃げ出していれば、もしくは最後まで男を貫いてメスを守る姿勢を見せていればいい余興になったものを。どのみち店員さんのポケモンがかげふみをするから逃げられはしないのだが。
「ジュジイイイイイイィィィ!!!」
トングの拘束を解除してサーモンだけ掴み直し、すかさずバーナーの火で炙る。体にかけられたマヨネーズの油分が体を熱し、サーモンはびちびちと身悶えながら大絶叫をあげた。
「ヌ…ヌシ…アイツ ワルイオシュ…!オレ イイメシュ」
「お前もそーゆーとこな」
「ギャアアアアアアァァナンデエエエェェ!!」
オスに売られたショックからか、或いはただのバカなのか、メスは大元の原因である俺に擦り寄ろうとしたのでこっちも即炙った。良かろうが悪かろうがシャリタツなんだから関係ないし。
痙攣するツガイを雑に皿に移し、ちょっと醤油を垂らして食べてみる。
「ァ゛ オレ チガ… メシュ…タベ」
「まーだ言ってるよ」
所詮シャリタツの愛なんてこんなもんだ。ツガイの炙りマヨを堪能し、俺はどんどん注文した。
「ツガイだもん、死ぬ時は一緒だよな」
「ヒィッッ!?イヤアアアァァッ オレイキル!シニタクナイ!!」
「コイツシス!オレイキル!!」
似たもの夫婦で実にお似合いである。さっきの炙りマヨの方がよっぽど夫婦してたな、と思いつつタマゴに箸を近づければ、横でイカがニタニタ気色悪い笑みを浮かべていた。この腹立つ顔どうにかなんねえのか。
「うん、やっぱお前先」
「ナンデエエエェェ!!!」
矛先を変え、イカの上半身だけ食いちぎって寿司下駄に戻した。罵り合ったとはいえツガイの片割れが無惨な姿になった事で、タマゴは瞬きも忘れて間抜けヅラを晒している。
ぴちぴち跳ねる白い下半身を見た後、ゆっくり俺に視線を向けて
「……オレ、タスカル?」
「んな訳ねーだろ馬鹿が」
相方の後を追って俺の胃に収まっていった。
「コイツキタナイ!!オレピンク カワイイ!!」
「コイツ ショーワル!!オレ ヤサシイ!!」
桶の中では人目も憚らずイチャイチャしておいて、いざスシになったらこれだ。予定調和すぎていっそ清々しい。
「マグロさあ、汚いスシを客に勧めるつもりなの?それってスシとしてどうなん?」
「シュシ!? ェ…エト…」
「アナゴも。優しい奴は自分のパートナーを性悪とか言わねーから」
「ァッ……シュシ…」
「ま、どっちも食う事に変わりないんだけど」
「「イ゛ヤ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛タベナイデエエエェ!!!」」
スシ共の茶番に付き合う気はないので早々に腹の中に入れた。
シャリタツだしラーメンが届いたのでツガイを卵から引き離し、熱々の丼の中に投入した。
「ジュジイイィッッ!!?」
「アヂュイ!アヂュイイイィィ!!」
幸せな新婚生活から一転、灼熱の海に放り出されてツガイは阿鼻叫喚となった。具材のメンマや野菜にしがみつき、何とか2匹で丼の中から逃げ出そうともがいている。
先に大きめのキャベツに乗ったオスがスープに溺れるメスのヒレを掴み、力を込めて引っ張り上げる……が。
「「ジュジイイィィィィィィィ……!!」」
2匹分の重さに耐えられなくなったキャベツはツガイを乗せたままスープの海に沈んでいった。バカだ。
頭上に何か冷たいものを落とされたツガイは、粘度のある慣れない感触に首を傾げた。
熱々のスープの上に落ちた黄金色の卵黄と、ツガイの体を覆うどろりとした卵白。2匹は自分達にまとわりついたものを理解できずペタペタと卵白を触って顔を顰めていたが、俺が卵の殻を見せた事でサーっと青ざめて発狂した。
「イギャアアアアァァ!!オレノタマアアァァァア!!!」
「ヌルヌルイヤアアァァ!!キモチワルイイィ!!」
メスのエビはショックに耐えきれず白目を剥いて気絶し、オスのイカは自身に絡みつくヌルヌルの我が子を洗い流そうと自分からスープの海に潜った。黄身を潰さないように野菜を被せ、ツガイの上には麺を乗せて生き埋めにする。
やがてどっちも熱が通って食べ頃になったので、麺が伸びないうちに堪能した。
それにしても何だか丼の中が険悪である。
「オマエ ウワキ!?ユルサナイ!!」
「ウワキチガウ!!オマエガ ヘンナタマ モッテキタ!!」
「ァ゛……オシュ…タシュ……」
骨が折れて動けないのでひたすら口だけを動かすツガイと、左右から飛んでくる罵詈雑言と炙られた痛みに今にもくたばりそうなアナゴ。どうやら色違いの概念を知らないらしく、誕生したアナゴが自分達の子じゃないと揉めているらしい。浮気の意味は知ってるのに、つくづくこいつらの知識のつき方は謎である。
「オレ オシュシノコ…オレアナゴ……」
「オレノコ エビ!モットキレイ! オマエキタナイ!!」
「ウワキノコ イラナイ!シッシ!!」
「シュシイイイィィ……」
丼の上に醤油をかけるとごちゃごちゃ言い合っていた3匹が綺麗なハモリで叫び出す。親子で唯一息があった瞬間がコレとは。
「ギャアアアアアア!?ナニコレショッパイ! ヤダァァァアア!!」
「続きは腹ん中でやってくれる?」
こちとらシャリタツの家庭崩壊なんぞに興味はない。
ライスと一緒にかきこみ、途中からだし茶漬けにして美味しく頂いた。
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